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2026年08月06日 19:30

AI学習データ調達で古書購入、破棄前提のスキャンも

執筆: Takumi(Memolith開発者)
メモリスメモリスによる要約
  • 古書店に用途不明の大量注文が届き、数週間後の記者の取材で初めてAI関連と判明
  • Anthropicは卸売業者から仕入れた書籍を破壊的にスキャンし学習に使っていた(裁判資料で発覚)
  • 録音データには「購入」という代理指標がなく、同意の明記だけが唯一の防波堤になる

オランダ・ハールレムで古書店を営むピーター・デ・フリース氏のもとに、見慣れない依頼のメールが届いたのは今年の夏だった。「2077AI」を名乗る担当者、ナタリアという女性から、「かなり大口の注文」だという書籍調達の依頼だった。添付されていたのは、3000件を超えるISBN(国際標準図書番号、書籍1点ごとに割り振られる識別番号)を記載したスプレッドシート。書名を照合し、見積書を作成し、中国向けの送料を算出してほしいという内容だった。デ・フリース氏は冒頭の数行を読んだだけでスパムかフィッシング詐欺だと判断し、それ以上取り合わなかったという。

メールにAIへの言及は一切なかった。デ・フリース氏がこの依頼と人工知能の結びつきを知ったのは、数週間後、この調達依頼を調べていたオランダ人記者から連絡を受けたときだった。氏が米Fortune誌に提供した資料によれば、3001件のリストの中身は主に2020〜2021年に刊行された学術書で、Emerald、Elsevier、Wiley、Routledge、Oxford University Pressといった出版社が名を連ね、分野はビジネス、教育、工学、公共政策、医学と多岐にわたっていた。デ・フリース氏の店は希少本を中心に扱っており、一度にこれほどの注文が来ること自体が異例だったという。同じ依頼はオランダの複数の古書店にも届いており、いずれも同様に相手にしなかったと氏は語っている。同種の内容は日本でもITmediaがロイター配信で伝えている

一冊ずつ見れば奇妙な問い合わせに過ぎない。だが、ここに透けて見えるのは、AI企業が学習データをなりふり構わず漁っているという単純な話ではなく、「購入」という一見まっとうな経路の裏側で、調達の実態がほとんど公にならないという構造だ。実際、Anthropicは社内で「Project Panama」と呼ばれていた取り組みの一環として、Better World BooksやWorld of Books(英)といった中古書籍の卸売業者から書籍を仕入れ、これを積み重ねる形で数百万冊規模の蔵書を築いていたことが、著者らが起こした著作権訴訟の裁判資料から明らかになった。著者本人から直接買い取ったわけではない。仕入れた書籍は背表紙を裁断してページを高速スキャナーに通し、残った紙束は処分する「破壊スキャン(destructive scanning)」という手法でデジタル化され、検索可能な巨大な学習用ライブラリになっていたと、米The Washington Postが報じ、欧州メディアのEuronewsも詳しく伝えている。2025年6月、担当裁判官は、適法に購入した書籍を破壊的にスキャンして学習に使うこと自体は、著作権法上のフェアユース(公正利用、著作権者の許諾なしに一定の条件で著作物を利用できるとする米国の法理)に該当すると判断した。一方、海賊版サイトからダウンロードした書籍を学習に使っていた別件の請求は認められず、Anthropicはこちらを解決するために2025年、15億ドルの和解金を支払うことで合意している。Anthropicの広報は、書籍は通常の商流を通じて購入しており、データ取得プログラムで希少本や古書を取得して破壊することはないとコメントしているが、これは中古書籍の卸売業者から大量に仕入れて破壊的にスキャンしていたこと自体を否定する内容ではない。

仕事で日々AIツールを使う側からすると、この話は出版業界だけのニュースでは済まない。書籍の場合、代金の請求書や見積書、ISBNのリストといった「購入」の記録が残るからこそ、後になって記者や弁護士が調達経路を辿り直すことができた。だが、日々の会議やアイデアを録音した音声データには、そもそも書籍の購入に相当する取引が存在しない。請求書も見積もりも発行されない会話が、そのままどこかのAIモデルの学習材料になっていたとしても、外部の誰かがそれを事後的に検証する手がかりはほとんど残らない。

論点は二つに分けて考える必要がある。一つは、フェアユースという物差しそのものの限界だ。今回の判断が「合法な購入かどうか」を軸に据えたのは、対価の支払いという行為を、著者や出版社の同意の代わりに置いているからにほかならない。これは書籍という商品には一応あてはまる代理指標だが、あくまで代理でしかない。録音データのように話者本人の発言そのものを扱う領域では、購入に相当する行為が存在しない以上、この代理指標は最初から機能しない。学習利用の可否を判断する軸は、購入の有無ではなく、話者本人が学習に使われる可能性を明示的に知らされ、それを断る手段を実際に持っていたかどうかに置き直す必要がある。

もう一つは、購入という体裁があってすら調達の実務が透明性を欠いたまま進みやすいという、法解釈とは別の構造の問題だ。米404 Mediaは2026年7月21日、書誌データベース企業ISBNdbが、大規模言語モデル(LLM、大量の文章で学習した文章生成AIの基盤モデル)の学習ニーズに合わせて設計したという触れ込みで、1000冊から100万冊規模の紙の書籍を一括調達するサービスのページを掲載していたと報じた。ISBNdbは報道から一週間ほどでこのページを削除し、書籍を購入したこともスキャンしたことも販売したこともなく、あくまで市場の需要を確かめるテストだったと説明している。もっとも、削除前のページには注文規模に応じた価格帯や秘密保持契約の枠組み、法的な整理まで記載されていたとされ、単なる市場調査にしては具体性が高すぎるという見方も出ている。オランダの一件でも、2077AIが何のために書籍を求めていたのかは、この記事の執筆時点でも明かされていない。取材を受けても答えないまま、依頼だけが古書店に届く。この不透明さが解消されない限り、購入という経路を通っていようといまいと、学習データの出所を外部から検証する手段はほとんどないままになる。

こうした調達の不透明さに、規制が後追いで手を伸ばし始めてもいる。EUのAI法は2025年8月、汎用のAIモデルを提供する企業に、学習に使ったコンテンツの「十分詳細な要約」を公表する義務を課した。書籍か録音かを問わず、モデルの学習材料そのものを開示させる方向の規制であり、今回のような調達経路の不透明さそのものに対応するものではないが、事後的に検証する手がかりを増やす一歩ではある。日々の会議やメモを録音してAIに渡す側にできることは、結局のところ地味な確認に尽きる。使っているツールのプライバシーポリシーが、録音データを学習に使うかどうかに触れているか。触れているなら、それを拒否する手段が実際に機能する形で用意されているか。書籍のように紙の在庫やISBNのリストが残らない以上、この確認を怠れば、自分の声がどこかで学習データになっていたと気づく機会そのものが失われる。

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