
- チャレンジャー爆発の翌朝の記録と2年半後の回答の一致度は7点満点で平均2.95。44人中11人は0点なのに、確信度は5点満点で平均4.17だった
- 9.11の記憶は日常の記憶と同じ速さで崩れた。高止まりしたのは鮮明さと「正確だ」という感覚だけだった
- 10年追跡では誤りは訂正されず繰り返された。書き換えを検出できた研究はすべて、直後に書き残した記録を原本に持っていた
あの日、自分がどこで何をしていたか。大きな事件や災害の記憶は、なぜか場面ごと覚えている。ニュースを知った部屋の明るさ、隣にいた人、最初に交わした言葉。何年経っても細部まで見えるし、思い出すたびに同じ場面が再生される。この鮮明さには独特の手触りがあって、昨日の昼食の記憶と混同しようがない。これは忘れるはずがない、と感じる。
心理学は半世紀近く前、この実感に正式な名前を与えた。フラッシュバルブ記憶。カメラの閃光電球(フラッシュバルブ)が焚かれた瞬間の写真のように、衝撃的な出来事を知った場面が丸ごと焼き付く、という命名である。
ところが、この名前を検証した研究の系譜をたどると、話は静かに裏返っていく。スペースシャトルの爆発事故で、そしてアメリカ同時多発テロ(9.11)で、研究者たちは事件直後の記憶を紙に書き残させ、数年後、10年後の記憶と突き合わせた。先に言ってしまえば、10年後まで無傷で残っていたのは記憶の中身ではない。「この記憶は正確だ」という確信のほうだった。
「ケネディの訃報をどこで聞いたか」から始まった
1977年、ハーバード大学の心理学者Roger BrownとJames Kulikが学術誌Cognitionに発表した論文「Flashbulb memories」が、この現象の出生証明である。二人が注目したのは、当時のアメリカ人なら誰もが持っていたひとつの記憶だった。1963年のケネディ大統領暗殺を、どこで、何をしているときに知ったか。14年前の出来事なのに、尋ねられた人は場面ごと語れる。
二人はアメリカ人80人(黒人40人・白人40人)に、9つの公的な事件について「知った瞬間の記憶があるか」を尋ねた。ケネディ暗殺、キング牧師暗殺、マルコムX暗殺。加えて、身近な人の死のような個人的な衝撃についても聞いている。結果、ケネディ暗殺では80人中79人が「知った瞬間」の記憶を報告した。14年経って、この割合である。
報告された中身にも型があった。どこにいたか。何をしていたか。誰から聞いたか。周りはどう反応したか。自分はどう感じたか。直後に何をしたか。語りはきまってこの6つの要素に整理でき、まるで決まった書式で保存されているかのようだった。しかも形成率は「自分事かどうか」で動く。キング牧師暗殺の記憶を持っていたのは、黒人参加者の75%に対して白人参加者は33%。事件が自分の人生に直結するほど、フラッシュは焚かれやすい。二人はここから、生存に関わる重大事に反応して脳が「今を印刷せよ(Now Print!)」という命令を発する、という神経機構の仮説まで示した。神経科学者Robert Livingstonが1967年に唱えたアイデアの借用である。
公平のために書いておくと、BrownとKulik自身も「写真」の比喩には留保を付けている。本物の写真は画角の中を無差別に全部写すが、この記憶はそうではなく、細部は欠ける、と。それでも二人は、この記憶が長持ちし、かつ正確であることを疑わなかった。後にこの理論を検証したTalaricoとRubinが指摘したとおり、二人は「1963年から他に何を覚えているというのか」と自問し、正確さを前提に理論を組み立てている。
その前提を確かめられないことは、実は構造から明らかだった。1963年の記憶の正確さを1977年に検証する方法は、存在しない。本人の語りがどれほど鮮明でも、突き合わせる原本がないからである。検証するには、次の「あの日」が起きた直後に記録を取り、寝かせて、後の記憶と照合するしかない。
そして1986年1月28日が来る。
翌朝の手書きと、2年半後の記憶
スペースシャトル・チャレンジャー号は、打ち上げの73秒後に空中分解し、乗員7人全員が亡くなった。搭乗者には「宇宙からの授業」を予定していた高校教師が含まれ、多くの学校の子どもたちが打ち上げの生中継を見ていた。全米にとっての「あの日」である。
エモリー大学の心理学者Ulric NeisserとNicole Harschは、翌朝すぐに動いた。事故から24時間経たないうちに、心理学入門の受講生106人へ質問紙を配り、どうやって知ったかの記述と、場所・活動・情報源など7つの質問への回答を書かせたのである。フラッシュバルブ記憶の理論が正しければ、この朝に焼き付いた記憶は、何年経っても質問紙とほぼ一致するはずだ。
2年半後、44人が同じ質問紙にもう一度答えた。今回は回答ごとに、自分の記憶がどれくらい正確だと思うかも5段階で評価してもらう。採点は元の回答との一致度で行い、7点満点である。
平均は2.95点だった。44人のうち11人、4人に1人が0点。半数の22人が2点以下である。いっぽう確信度の平均は、5点満点の4.17。ほとんど間違えている人たちが、ほとんど満点の自信を付けていた。確信の強さと正確さのあいだに、意味のある関係は見つからなかった。確信と結びついていたのは、思い浮かぶ映像の鮮明さのほうだった。
数字だけでは崩れ方の質感が伝わらないので、論文に載った実例をひとつ引いておく。ある学生は事故の翌朝、こう書いた。「宗教の授業に出ていたら、人が入ってきてその話を始めた。詳しいことは分からなかったが、爆発したこと、あの教師の教え子たちがみんな中継を見ていたことを知って、とても悲しいと思った。授業のあと部屋に戻ってテレビを見て、詳細はそこで知った」。2年半後、同じ学生はこう答えている。「最初に知ったとき、私は新入生寮の部屋でルームメイトとテレビを見ていた。ニュース速報が流れて、二人ともショックを受けた」。場所も、一緒にいた人も、知った経路も入れ替わっている。本人に、書き換えた自覚はない。
入れ替わりには方向まであった。最初の質問紙で「テレビで知った」と書いた学生は21%。2年半後には45%に増えていた。この事故の記憶といえば、誰もが繰り返し見たあの爆発の映像である。後から何度も見た画面が、「最初に知った瞬間」の席にすり替わって座る。NeisserとHarschはこの型の誤りを「タイムスライス・エラー」と呼んだ。別の時間の断片が、本物の顔をしてその時刻に収まるのである。
だめ押しの結果が2つある。第一に、44人のうち、2年半前に自分がこの質問紙に答えたことを覚えていた学生は11人しかいなかった。書くという行為ごと消えている。第二に、その後の面接で研究者たちは、本人の筆跡で書かれた元の回答を見せた。ここで「ああ、そうだった」と原本の記憶がよみがえってもよさそうなものだが、そうはならなかった。学生たちは食い違いに驚きながらも、それを説明できず、いま頭の中にある鮮明な場面の実感は揺らがなかった。原本を目の前に置かれても、上書き後の版が勝つのである。
9.11の翌日、54人が書き残したもの
もっとも、ここまでの結果には逃げ道が残っていた。日常の記憶と比べていないではないか、という反論である。2年半で崩れたとしても、同じ週の夕食の記憶よりはよほど持ちがいいかもしれない。「特別に正確」の看板を下ろさせるには、同じ期間だけ寝かせた普通の記憶という比較対象が要る。実際、1992年に研究者たちがこの分野の論集を編んだ際にも、比較の欠如は宿題として名指しされていた。
宿題が果たされたのは、次の「あの日」の翌日である。2001年9月12日、デューク大学の心理学者Jennifer TalaricoとDavid Rubinは、学生54人に2種類の記憶を書き残させた。前日の同時多発テロを知った瞬間の記憶と、テロ直前の数日にあった日常の出来事(パーティー、スポーツ観戦、勉強会など)の記憶である。そのうえで54人を18人ずつ3グループに分け、それぞれ1週間後、6週間後、32週間後に、同じことをもう一度書かせた。初回の記録と突き合わせれば、2種類の記憶が同じ速さで崩れるのか、違う速さなのかが分かる。
結果は身も蓋もない。初回と一貫して思い出せた細部の数は、テロの記憶も日常の記憶も、同じカーブで減っていった。統計的に区別がつかない。初回と矛盾する細部も、どちらも同じように増えた。32週間、およそ7か月半で、9.11の記憶は日常の記憶と同じだけ壊れたのである。
違いが出たのは、記憶の中身ではなく、記憶に対する感覚のほうだった。どれくらい鮮明か。その場面を追体験している感じがあるか。この記憶は正確だと信じられるか。日常の記憶では、これらの評価は時間とともに素直に下がっていく。中身が壊れるのに合わせて実感も色あせる、健全な連動である。ところが9.11の記憶では、中身が同じだけ壊れているのに、鮮明さも追体験の感覚も「正確だ」という信念も、32週間後まで高いまま動かなかった。
論文のタイトルがそのまま結論になっている。「Confidence, not consistency, characterizes flashbulb memories(フラッシュバルブ記憶を特徴づけるのは、一貫性ではなく確信である)」。さらに不気味な相関がひとつ報告されている。テロ翌日の初回調査で、思い出すときの動悸や胃の締めつけといった身体反応を強く評定した人ほど、数週間から数か月後の再調査で自分の記憶を「正確だ」と信じていた。ところが、その身体反応の強さは実際の一貫性とはまったく相関しなかった。強い感情は、記憶の中身を保存する代わりに、記憶への確信を保存していたことになる。
著者らは論文をこう締めくくっている。本当の謎は、フラッシュバルブ記憶がなぜ長く正確なのかではない。人はなぜ、自分のフラッシュバルブ記憶の正確さを、これほど長く確信し続けられるのか。
202人が、10年間に4回答えた
それでも、まだ問える余地はあった。32週間は1年に満たない。チャレンジャーの検証も2年半で止まっている。10年経ったら、どうなっているのか。
規模で応えた研究がある。9.11の直後、全米の研究者たちが共同研究体を組み、テロから1週間のうちにニューヨーク、ワシントンDC、ボストンなど7都市で調査を始めた。知った瞬間の記憶を6項目で尋ねるのに加えて、事件そのものの事実(旅客機は何機だったか、どの都市に墜落したか、など)も尋ねる設計である。追跡調査は11か月後、35か月後、そして119か月後。最初の3回で延べ3,246人が参加し、10年目の4回目まで完走した202人が分析の中心になった。結果は2015年、William HirstとElizabeth Phelpsら17人の研究者の連名で発表されている。
10年後、記憶が消えていたわけではない。4回目の調査でも、99.5%の人が6項目中5項目以上に「思い出」を答えられた。語れること自体は、まったく健在である。問題はその中身で、初回の記録と一致していた割合は、11か月後の時点で63%。ここで早くも4割近くが入れ替わっている。35か月後には56%。そして119か月後、つまり10年後は59%だった。
この並びは、読み方に少し注意がいる。崩れ続けたのではない。崩れたのはほぼ最初の1年で、その後の9年間は横ばいだったのである。1年目までに「書き換え済みの版」が固まり、その版が以後10年、安定して保たれた。確信度はといえば、この間ずっと5点満点の4点台で高止まりしている。そして10年目の時点で、確信の高さと一貫性のあいだに相関はなかった。
固まったのが「書き換え済みの版」だという証拠に、この研究はさらに踏み込んでいる。ある回の調査で初回と食い違う回答をした人が、次の回にどう答えるかを追ったのだ。もし食い違いがその場の当て推量なら、次の回には揺れて別の答えになるか、正解に戻るはずである。実際には、食い違った回答は、訂正されるより繰り返されるほうが多かった。10年目の調査に現れた食い違いの43.4%は、3年目の調査の食い違いのそのままの再演だった。論文に載った例を借りれば、初回に「キッチンで朝食を作っていた」と書いた人が、11か月後には「寮の部屋で洗濯物をたたんでいた」と答え、以後の2回は「寮の部屋でアイロンをかけていた」で固定される、という具合である。誤りが記憶として定着し、以後は誤りのまま安定運転に入る。
対照的なのが、事件の「事実」のほうの記憶である。旅客機の数や墜落場所のような事実の誤りは、次の調査までに60〜92%が訂正されていた。なぜ事実は直り、体験は直らないのか。答えの見当はつく。事実には、外から訂正が入るからだ。報道、ドキュメンタリー、周囲との会話。実際この研究では、ブッシュ大統領(当時)がテロの一報を受けた場所についての正答率が、その場面の映像を含む映画『華氏911』の公開をはさんで、映画を見た人では59%から90%へ跳ね上がっている。事実の記憶は世間が校正してくれる。だが「あなたがどこで聞いたか」を校正できる他人は、どこにもいない。
確信の側にも、正確さと無関係な独自の理屈があった。テロの時にニューヨーク市内にいた人は、市外にいた人より自分の記憶への確信が強かった。ただし、一貫性は変わらない。自分は現場に近かったのだから、よく覚えているはずだ。その理屈が、中身と関係なく確信だけを押し上げる。
検出器は、いつも「直後の記録」だった
ここまでの研究には、共通の装置がひとつある。チャレンジャーの翌朝の質問紙。9月12日の54人の記録。テロから1週間以内の第1回調査。書き換えを検出できた研究はすべて、事件直後の記録を原本として持っていた。逆に言えば、直後の記録がなければ、10年後の鮮明な語りを前に、研究者にも本人にも、それが原本かどうかを知る方法はない。BrownとKulikが1977年に正確さを検証できなかったのは怠慢ではなく、原本を持っていなかったからである。
なぜ書き換わるのか、のほうも研究者たちは説明を用意している。鍵は、記憶の出どころの取り違え(心理学でいうソースモニタリング・エラー)だ。あの日について、人は何度も報道を見て、何度も人に語る。TalaricoとRubinの測定でも、9.11の記憶は日常の記憶よりはるかによく反芻され、よく語られていた。そのたびに素材が増える。後から見た映像、語るうちに整った筋書き。次に思い出すとき、頭はどの素材が原本かをラベルで管理していないから、いちばん鮮明で、いちばん筋の通った版が「あの朝の記憶」として引き出される。Hirstらが強調するのは、本人が欠けた部分を当て推量で埋めているのではない、という点である。食い違った記憶を語るとき、本人は本気で「思い出して」いる。だから確信は無傷で、だから繰り返すたびに同じ誤りが再演される。
この構図は、忘却とは別物である。エビングハウスの忘却曲線が描いたのは、記憶が量として減っていく過程だった。フラッシュバルブ記憶で起きているのは減少ではない。語れる分量はむしろ保たれ、細部は鮮明なまま、中身だけが静かに差し替わる。しかも差し替わったことを知らせる警告灯は、どこにも点かない。鮮明さも確信も、正確なときとまったく同じ顔で灯り続ける。選択盲の実験では、人が選んでいない選択の理由をその場で流暢に語れることを見た。あちらが即席の作文だとすれば、こちらは年単位の改稿である。どちらでも、語りの滑らかさと本人の確信は、中身の保証にならない。
原本は、頭の外にしか置けない
9.11級の事件は、一生にそう何度もない。だが記憶の器官は、出来事の重大さで実装を切り替えたりしない。プロジェクトの方針を、なぜああ決めたのか。あの打ち合わせで、先方は何と言ったのか。半年後に語られるそれらの記憶は、鮮明で、筋が通っていて、本人は確信している。ここまでの数字を並べたあとでは、この3点セットが何の保証にもならないことを、私たちはもう知っている。「言った言わない」の水掛け論が決着しないのも、お互いが自分の小さなフラッシュバルブを信じている状態だと思えば腑に落ちる。両者とも、本気で思い出しているのである。
研究者たちが翌朝の質問紙でやったことを日常でやる方法は、昔からある。直後にメモを取る、である。ただ、衝撃や多忙の渦中で書ける分量はたかが知れているし、書いた行為ごと忘れることは、44人中33人が証明済みだ。いまなら、会議や思いつきを録音で残しておく手がある。メモリスのようなAIボイスメモなら、録音して渡しておけば、録音後にAIが処理して数分でテキストと要約になる。会議なら議事録が返ってくる。要約の便利さもさることながら、この文脈で効いているのは、「直後の版」が本人の記憶と独立に固定されることのほうだ。NeisserとHarschの学生たちが突き付けられた自分の筆跡と同じ、動かない原本である。
冒頭の「あの日の記憶」に戻ろう。研究の数字に従うなら、あなたのあの場面も、細部のいくつかはもう最初の版ではない可能性が高い。そして、それを確かめる原本は、たぶんどこにもない。少し心細い話だが、研究者たちが示したのは記憶の無力ではない。語れること、鮮明さ、確信。記憶は10年経っても、それらを立派に供給し続けた。供給されないのは、正確さの保証だけである。だから結論は「記憶を信じるな」ではなく、もう少し実務的な一行になる。保証が要る記憶を選び、その原本だけは頭の外に置いておく。次に「これは絶対に忘れない」と感じる瞬間が来たら、それが原本を作れる唯一の機会である。
参考文献
- Brown, R., & Kulik, J. (1977). Flashbulb memories. Cognition, 5(1), 73–99.
- Neisser, U., & Harsch, N. (1992). Phantom flashbulbs: False recollections of hearing the news about Challenger. In E. Winograd & U. Neisser (Eds.), Affect and accuracy in recall: Studies of "flashbulb" memories (pp. 9–31). Cambridge University Press.
- Talarico, J. M., & Rubin, D. C. (2003). Confidence, not consistency, characterizes flashbulb memories. Psychological Science, 14(5), 455–461.
- Hirst, W., Phelps, E. A., Buckner, R. L., et al. (2009). Long-term memory for the terrorist attack of September 11: Flashbulb memories, event memories, and the factors that influence their retention. Journal of Experimental Psychology: General, 138(2), 161–176.
- Hirst, W., Phelps, E. A., Meksin, R., et al. (2015). A ten-year follow-up of a study of memory for the attack of September 11, 2001: Flashbulb memories and memories for flashbulb events. Journal of Experimental Psychology: General, 144(3), 604–623.
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