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2026年08月11日 09:00(最終更新: 2026年08月13日

忘却曲線の被験者はエビングハウス本人だけ。135年後、70時間かけた追試の中身

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  • 2026年08月13日文章の読みやすさ・文体を見直しました(内容・事実・構成は変更なし)
執筆: Takumi(Memolith開発者)
メモリスメモリスによる要約
  • 教科書の忘却曲線は1879〜80年、エビングハウスが自分ひとりを被験者に7か月かけて測った記録が原点
  • 2015年の追試では22歳の学生1人が約70時間かけて再演。135年を挟んだ2本の曲線はほぼ重なった
  • ただし曲線は滑らかではなく、24時間地点に上向きの段差。睡眠と記憶の研究につながる宿題も残した

会議の翌朝、議事録を書こうとして、決まったことの半分も思い出せない。この誰にでもある経験の説明として、たいてい持ち出されるのが右肩下がりのあのグラフである。エビングハウスの忘却曲線。「人は20分後には42%を忘れる」。研修資料や勉強法の記事の定番で、人間が忘れる生き物であることの、科学のお墨付きとして貼られている。

このグラフの出典を遡っていくと、途中で少し落ち着かなくなる。曲線を描いた実験の被験者は、1人しかいない。ヘルマン・エビングハウス、当時29歳。実験を設計した本人である。1879年から1880年にかけて自分の記憶だけを測って描いた曲線が、21世紀の研修資料にまだ貼られている。

被験者1人、しかも本人。現代の心理学なら、査読の入り口で止められてもおかしくない体裁である。ところが2015年、この実験をゼロから忠実に再演した追試論文が出た(Murre & Dros, 2015, PLOS ONE誌)。結果から言えば、曲線はほぼそのまま再現された。被験者数十人の有名研究が追試で次々に倒れていった2010年代に、である。19世紀のn=1は、なぜ生き延びたのか。

7か月、1日3セッション

まず1879年の実験の中身を、伝説ではなく手続きの側から見ておきたい。

エビングハウスの発明は「無意味音節」である。子音・母音・子音の3文字組で、どの言語でも意味をなさない音の粒だ。意味のある単語や詩では、既有知識や連想が記憶を助けてしまうし、馴染みの度合いも人によって違う。記憶そのものを測るには、誰にとっても等しく無意味な材料が要る、という理屈だ。

手続きはこうだ。無意味音節13個を1行として、毎分150音節、1音節あたり0.4秒という一定速度で音読し、間違えずに2回連続で暗唱できるまで繰り返す。これを8行。ここまでで1リストの学習が終わる。そして20分後、1時間後、9時間後、1日後、2日後、6日後、31日後のいずれかの間隔を置いて、同じリストをもう一度、同じ基準まで覚え直す。

測るのは「どれだけ覚えているか」ではない。「覚え直しが、最初の学習よりどれだけ速く済んだか」である。最初に25回の反復が必要だったリストが、翌日は20回で済んだなら、5回ぶん、つまり20%が「節約」されたことになる。エビングハウスが節約法と呼んだこの測り方は、思い出せるかどうかを本人の内観に聞く代わりに、記憶を時間という外から測れる量に換算する仕掛けだった。

この定義には、冒頭のキャプションを裏返す含みがある。曲線の縦軸は節約率であって、覚えている量ではない。20分後の節約率58.2%は「58.2%覚えている(42%忘れた)」という意味ではなく、「覚え直しの手間が6割方浮いた」という意味である。「20分後に42%を忘れる」という定番の一行は、この縦軸をそのまま記憶の残量に読み替えたもので、実験が測ったものとは別の主張になっている。

その計測を、エビングハウスは7か月続けた。多い日は1日3セッション。開始は原則として午前10時、ときに正午、たいてい19時から20時にもう1回。時間帯で学習の速さが変わることに本人が気づいていて、正午のデータからは5%、夜からは13%、学習時間を割り引いて午前の値に揃えている。反復回数は、数えると気が散るからと経過時間から換算した。間隔ごとの反復は12回から45回。この記録が土台となって、1885年に『記憶について』(Über das Gedächtnis)が出版される。実験心理学という分野がまだ形になる前に、記憶を実験で測ってみせた最初の本である。

135年間、確かめた人はいたのか

教科書に必ず載る曲線なのだから、追試も山ほどあるに違いない。そう思って探すと、意外に心細いことがわかる。

初期の追試はある。1907年のRadossawljewitsch、1913年のFinkenbinderが同じ節約法で忘却を測っている。ただし提示速度はエビングハウスの5倍遅い1音節2秒。機械式の提示装置に合わせた変更だが、これだけ遅いと刺激の処理のされ方自体が変わってしまうと、後の研究者は指摘している。忠実な再演と呼べるものは、2015年の著者らが調べた限り1991年にドイツで行われた2人被験者の追試(Heller, Mack & Seitz)くらいで、しかもこの研究はドイツ語でしか出版されず、電子化もされず、英語圏の学術誌に一度も引用されていなかった。教科書の1ページ目級の古典が、忠実な検証をほとんど経ないまま130年流通していたことになる。

2015年の追試論文の著者は、アムステルダム大学の記憶研究者Jaap Murreと、当時22歳の学生Joeri Dros。動機は論文の冒頭にはっきり書いてある。心理学では信頼できない知見への不安が広がり、追試への関心が高まっている。だからこそ「あらゆる認知心理学の教科書に載っている古典こそ、追試を試みる価値がある」。バートレットの有名な記憶実験(1932年)は、原論文の手続きの記録が曖昧だったせいで再現の失敗が続き、基本的な結果がようやく再現されたのは1999年だった。そうした前例まで引いている。有名であることと、確かめられていることは、しばしば別物なのだ。同じ2010年代に、確かめられていなかった有名研究がどう倒れていったかは、手書きノート研究の追試10年史で数字ごと追った。

静かな部屋で、70時間

追試の被験者は、共著者のDros本人。22歳の男性で、彼ひとりである。n=1の自己実験にも現代は倫理審査が要り、論文にはアムステルダム大学心理学部の審査委員会の承認記録が付いている(同意書は「著者本人が被験者なので同意は自明」として処理された)。1879年には存在しなかった手続きが、再演の周りにだけ増えている。

材料はエビングハウスの設計をなぞって作られた。13音節×8行=104音節で1リスト、これを70本。音節は子音・母音・子音のオランダ語版で、Excelの乱数から生成し、被験者が話せる言語(英語やドイツ語)で意味を持ってしまう組み合わせは除外した。紙に印刷し、静かな部屋の机で、まだ学習していない行は紙で覆いながら覚える。速度はエビングハウスの原典に従い毎分150音節。最初はメトロノームを使ったが、気が散るのでリズムを体に覚え込ませ、本番では使わなかった。1行の暗唱は平均5.2秒。彼は「wes-hóm」「niem-hág」のように音節を2個ずつ組にして、後ろに強勢を置いて唱えるのを好んだという。反復回数の記録は、エビングハウスが経過時間からの換算、1991年のドイツの2人が数珠のような木のビーズだったところ、DrosはWordを開いて1反復ごとにキーボードの「1」を押した。測っているものは135年間同じで、数える道具だけが世代交代している。

2011年11月の練習期間を経て、12月1日から翌年2月13日までの75日間が本番である。1日に2〜3リスト、最大4リスト。1リストの学習には平均でおよそ30分かかった。各間隔10本ずつ(9時間条件のみ9本)、計69リストを学習しては覚え直し、データ収集の総時間はおよそ70時間。エビングハウスの7か月・間隔あたり12〜45反復に比べれば小規模だが、1人の人間が無意味音節だけに費やす時間として、70時間はちょっとした執念である。

曲線は重なった、ずれも含めて

Drosの節約率は、20分後47.2%、1時間後37.3%、9時間後27.6%、1日後31.7%、2日後23.0%、6日後16.8%、31日後4.1%。エビングハウスは58.2%、44.2%、35.8%、33.7%、27.8%、25.4%、21.1%。水準はやや低いものの、急落してから緩やかに漸減する形はよく揃っている。1991年の2人(Mack、Seitz)も含めて4本の曲線を重ねた著者らの表現は率直で、「予想される個人差を考えれば、4本のグラフの類似は驚くべきものだ」。結論の一文はこうである。「エビングハウスの古典的な忘却の再現の試みは、成功したと結論してよいと考える」。

135年を挟んだ4本の忘却曲線の比較。縦軸は節約率、横軸は対数目盛の保持間隔。エビングハウス(1880)は20分後58.2%から31日後21.1%へ、Dros(2015)は47.2%から4.1%へ低下し、Mack・Seitz(1991)も含めて4本の形はよく似ている。ただしDrosは9時間後(27.6%)より1日後(31.7%)のほうが高く、31日後だけ大きく外れて低い

ただし、そっくり重なったわけではない。ずれは2か所にあり、どちらも重なりそのものより面白い。

1つめは31日後である。Drosの4.1%は、他の3人(21.1%、25.8%、20.1%)から大きく外れて低い。リスト単位で見ると、31日条件の10本のうち2本は覚え直しのほうが最初の学習より時間がかかった。節約率がマイナスである。著者らが挙げる説明の候補は2つ。単にこの被験者の長期の忘却が速い可能性と、実験期間の都合で31日条件のリストだけ序盤にまとめて学習した影響である。序盤は意欲が高く、干渉してくる既習リストもまだ少ないから、最初の学習時間が短めに出る。分母が小さくなれば節約率は下がる。スケジュール上のわずかな妥協が、1か月後の数字にだけ顔を出したのかもしれない。

2つめのずれのほうが本命だ。グラフをよく見ると、Drosの曲線は9時間後(27.6%)より1日後(31.7%)のほうが高い。時間がたったのに、忘却が戻っている。1991年のMackとSeitzも、1日後から2日後にかけて節約率がむしろ上がる。エビングハウス自身のデータでも、9時間後(35.8%)から1日後(33.7%)の下げ幅は2.1ポイントしかない。著者らは4本を突き合わせて、忘却曲線は完全には滑らかでなく、24時間地点から上向きの「段差」がある可能性が高いと結論した。20分から31日まで、どの2点の間にも共通して挟まるものはないが、24時間の前後にだけは必ず挟まるものがある。睡眠である。著者らは、この上振れが睡眠そのものの効果だとはこのデータからは断定できないと明記した上で、睡眠と記憶の研究の歴史はそもそもエビングハウスの曲線の24時間地点から始まったのだと付け加えている。1880年の生データに、2010年代の研究テーマが埋まっていた格好である。

被験者1人の実験が生き延びた理由

追試で倒れていった2010年代の有名研究は、数十人から千人超の被験者を集めていた。それでも消えた。被験者1人の実験が残ったのは、どういう理屈なのか。

n=1の本当の弱点は、統計の弱さではない(エビングハウスの曲線の1点1点は、12回から45回の反復測定の平均であり、被験者内の精度はむしろ高い)。弱点は、その1人が特殊かもしれないという疑いに答えられないことに尽きる。並外れた記憶の持ち主だったのではないか。この疑いは元データをどう分析しても消えない。別の人間で、もう一度最初からやる以外にない。Murreたちが70時間を投じたのはこの一点のためで、だから彼らの「成功」は、エビングハウスの正しさの証明というより、忘却の形が特定の1人の癖ではなかったことの確認である。オランダ語話者の22歳でも、ドイツ語話者の2人でも、曲線は同じ形に落ちた。

もう1つの理由は、原典の側の几帳面さである。追試チームは1880年の未刊行原稿と1885年の刊行版を突き合わせ、学習時間の記録が両者で一致することや、刊行版では各間隔に88秒が加算されているが理由の説明がないことまで、帳簿検査のような照合をやっている。それができたのは、照合に耐える記録が135年前に残されていたからだ。論文の結びで著者らは、エビングハウスが1880年の時点で、統制された刺激材料、時間帯の影響の補正、恣意的な実験の打ち切りの防止、数理モデルによる検証といった「現代的」概念をすでに取り入れていたと評している。恣意的な打ち切り(データを見ながら都合のいいところで実験をやめること)は、2010年代の再現性の危機で偽陽性の温床と名指しされた操作そのものである。135年前の自己実験が21世紀の追試に耐えた理由の少なくない部分は、この古風な几帳面さにあった。

この追試が確かめたのは、「無意味な材料の再学習コストが、この形で減衰する」ことまでである。忘却曲線を根拠に語られがちな「最適な復習タイミング」や学習法の細部は、この実験の守備範囲の外にある。それでも、教科書の古典がグラフの形ごと再現される。手書き研究の顛末を知ったあとでは、それだけで十分に珍しい景色である。

忘れることと、消えることは違う

節約法には、覚えておく価値のある含みがもう1つある。31日後のDrosは、104音節のリストをほとんど暗唱できなかったはずだ。それでも覚え直しは、平均すればわずかに速かった。思い出せないことと、消えていることは違う。表に出てこないだけで、覚え直しを速くする程度の痕跡は残っている。著者らはエビングハウスの節約法を、本人が「忘れた」と感じている記憶を検出する潜在記憶テストの先駆と位置づけている。

ただし、この救いが働くのは、覚え直す機会があるときだけだ。実験のリストと違って、仕事の記憶には再演の機会がない。会議の中身は無意味音節より忘れにくいだろうが、翌朝に細部が薄れること自体は、冒頭に書いたとおり誰もが知っている。そして「言った言わない」になった時点で、覚え直すための材料はどこにも残っていない。メモが追いつかないという古典的な悩みへの対処が録音起点に寄ってきたのは、この構造ゆえだと思う。録音さえ残っていれば、メモリスのようなアプリは録音後にAIが処理して数分で議事録に起こせる。忘却曲線の傾きと記憶力で競争する代わりに、競争自体を降りる選択肢である。

研修資料であのグラフをまた見かけたら、キャプションだけ頭の中で書き直してみてほしい。「20分後に42%忘れる」は測られていない。測られたのは、ひとりの人間が7か月、もうひとりが70時間、無意味音節を唱え続けてようやく見えた減衰の形と、思い出せなくなったあとも消え残る痕跡、そして24時間地点の小さな段差である。曲線の下に書くべき一行は「人は忘れる」ではなく、「だから、覚え直せる形で外に残せ」のほうだろう。


参考文献

  • Murre, J. M. J., & Dros, J. (2015). Replication and Analysis of Ebbinghaus' Forgetting Curve. PLOS ONE, 10(7), e0120644.(実験データはOpen Science Framework: osf.io/6kfrp で公開)
  • Ebbinghaus, H. (1885). Über das Gedächtnis: Untersuchungen zur experimentellen Psychologie. Leipzig: Duncker & Humblot.(英訳: Memory: A Contribution to Experimental Psychology, trans. Ruger & Bussenius, 1913)
  • Heller, O., Mack, W., & Seitz, J. (1991). Replikation der Ebbinghaus'schen Vergessenskurve mit der Ersparnismethode.(ドイツ語のみで刊行された1991年の追試)

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