
- 2017年のWardらの実験は約800人を対象に、スマホの存在だけで認知成績が下がると報告し世界中で報道された
- 2022年の事前登録追試は位置と電源の6条件をそろえたが、効果はどの課題でも再現されなかった
- 2023年のメタ分析では全体の効果量はg=-0.14と小さく、有意なのは記憶のみで注意はゼロと区別がつかなかった
「スマホは電源を切って机に置いてあるだけで、認知能力を削る」。2017年に発表されたこの実験結果は、デジタルミニマリズムを説く書籍や「会議にスマホを持ち込むな」という職場ルールの学術的な看板として、世界中で報道された。ところが2022年、元の実験を忠実になぞった追試では効果が再現されなかった。2023年に22の研究を統計的に束ねたメタ分析でも、効果は当初の劇的な物語よりずっと小さく、記憶の課題に限られることがわかった。ただし、完全なゼロでもない。派手な実験が追試とメタ分析によって等身大に戻っていく過程は、スマホとの付き合い方だけでなく、「一本の研究をどこまで信じるべきか」を考える格好の教材になっている。
机の上のスマホが「認知資源を奪う」とされた実験
発端より少し前、2014年にThorntonらが学術誌Social Psychologyで、他人の携帯電話が視界にあるだけで複雑な課題の成績が下がるという小規模な実験を報告していた。この段階では、心理学の一トピックにすぎなかった。
流れを変えたのが、2017年にWard、Duke、Gneezy、Bosの4人がJournal of the Association for Consumer Researchに発表した論文「Brain Drain」である。2つの実験をあわせて約800人のスマホユーザーを対象に、自分のスマホを「机の上に伏せて置く」「ポケットやカバンにしまう」「別室に預ける」の3条件に割り当て、認知課題の成績を比べた。課題は2種類ある。オペレーションスパン(OSpan)課題は、簡単な計算を挟みながら文字を覚えていく課題で、頭の中に情報を保持しながら操作する能力(ワーキングメモリ)を測る。もう1つのレーヴン漸進行列は、図形パターンの穴埋めで推論の力を測る課題である。
結果は明快に見えた。スマホを別室に預けた群の成績が最も高く、机の上に置いた群が最も低い。第2実験では電源のオンとオフも操作したが、電源を切っても結果は変わらなかった。通知が来るから気が散る、という話ではないことになる。しかも参加者自身は、スマホのことを考えていたという自覚がなく、課題に集中できていたと感じていた。筆頭著者のWardは報道向けの説明で、「意識はスマホのことを考えていない。しかし『考えないようにする』という処理そのものが、限られた認知資源を消費する」という趣旨の解釈を示した。スマホ依存度の高い人ほど成績の低下が大きい(ただしスマホが見えるか手の届く場所にあるときに限る)という結果も、この解釈と整合的だった。
なぜこの実験は世界中に広まったのか
この結果が爆発的に広まった理由は、振り返るとよくわかる。第一に、直感に反する。通知を切れば十分だと誰もが思っていたところに、「電源を切っても、視界に入るだけでダメ」と言われたのだから、ニュースとしての引きが強い。第二に、処方箋が具体的で安上がりである。「スマホを別の部屋に置け」は、今日から誰でも実行できる。第三に、スマホへの漠然とした不安に、一流研究機関の実験という裏付けを与えてくれた。集中術を説く本、学校のスマホ持ち込み規制の議論、会議のグランドルール。あらゆる場所で、この実験は「科学が証明した」の根拠として引用された。
一方で、科学の側の検証は報道よりはるかに遅く進む。追試の結果が出そろい始めたのは、最初の報道から3年以上あとのことだった。
事前登録の直接追試で効果は消えた
追試の話に入る前に、用語を2つだけ押さえておきたい。直接追試は、元の実験と同じ手続きと同じ課題をなぞって、同じ結果が出るかを確かめる再実験である。そして事前登録は、実験を始める前に仮説と分析方法を登録しておく手続きを指す。結果を見てから都合のよい分析を選ぶ余地をなくすためのもので、2010年代に心理学で有名な実験が次々に再現に失敗した「再現性の危機」を受けて広まった。
2020年、Hartmannらはスイスの研究チームとして、学術誌Consciousness and Cognitionに追試結果を発表した。短期記憶と展望記憶(あとで何かをするのを覚えておく記憶)の課題ではスマホの存在の効果は見られず、Wardらの第2実験と同じ課題と条件をそろえた検証でも、効果は再現されなかった。
決定打となったのが、2022年にRuiz PardoとMindaがカナダのウェスタン大学から学術誌Acta Psychologicaに発表した事前登録の直接追試である。スマホの位置(机の上、ポケットかカバン、別室)と電源(オン、オフ)を掛け合わせた6条件をそろえ、OSpan課題に加えてGo/No-Go課題(合図に応じてボタンを押す・押さないを切り替え、反応を抑える力を測る課題)を実施した。結果、スマホの位置はどちらの課題の成績にも影響しなかった。著者らの結論は控えめだが明確で、「スマホがただそこにあるだけでは、認知成績に影響するには足りない可能性がある」というものだった。
ここで急いで付け加えるべきことがある。追試の失敗は、元の研究者の不正や無能を意味しない。同じ手続きでも、参加者集団や時代背景が変われば結果は揺れる。2017年と2022年では、スマホとの関係そのものが変わっているという指摘もできる。だからこそ、個別の追試の白黒ではなく、研究全体を束ねて眺める道具が要る。
22研究を束ねたら何が残ったか
その道具がメタ分析、つまり複数の研究の結果を統計的に統合する手法である。2023年、ドイツ・アウクスブルク大学のBöttger、Poschik、Ziererの3人は、スマホの存在や使用が認知に与える影響を扱った22研究43効果量を集め、学術誌Behavioral Sciencesにメタ分析を発表した。
結果を読むには効果量の感覚が要る。ここで使われるHedges gは、2つの群の平均の差を、成績のばらつき(標準偏差)を物差しにして表した指標で、慣例的に0.2前後で「小さい」、0.5前後で「中程度」とされる。メタ分析の全体効果はg=-0.14。統計的には有意、つまり偶然とは考えにくい差だが、大きさとしては「小さい」の基準にも届かない。個人差のばらつきに比べれば、スマホの存在が動かす分はごくわずかということになる。
内訳を見ると、物語はさらに具体的になる。記憶の課題ではg=-0.23で有意。一方、注意の課題はg=-0.07で有意差なし、一般認知機能に至ってはg=+0.10と符号が逆で、これも有意差がなかった。「置いてあるだけで頭が悪くなる」という一般論は支持されず、残ったのは「記憶に負荷のかかる課題で、小さな悪影響があるかもしれない」という限定的な知見である。
このメタ分析にはもう1つ目を引く結果がある。地域別に分けると、アジアの研究群ではg=-0.39と比較的はっきりした効果が出る一方、北米の研究群ではg=-0.03と、ほぼゼロだった。看板となった元の実験はアメリカで行われている。その地域で束ねると効果が消えるというのは、皮肉な構図である。研究間のばらつきを示す指標も大きく(I²=61.84)、「スマホの存在の効果」がどこでも誰にでも同じように現れる普遍的な現象ではないことを示唆している。
同じデータから正反対の見出しが生まれる
ここからが、この顛末のいちばん考えさせられる部分だと言ってよい。g=-0.14という全体効果を前に、メタ分析の著者ら自身は「学習中はスマホを学習者から遠ざけるべきだ」と、教育現場への介入を推奨する結論を書いた。ドイツの教育系メディアはこれを受けて、「教育研究者がブレインドレインを確認、スマホは注意と記憶の成績を損なう」という趣旨の見出しで報じた。しかし当のメタ分析で、注意への効果は有意差なしである。同じ数字の上に、「効果は確認された」という物語と「劇的な効果は縮んで消えかけている」という物語が同時に成立してしまう。どちらも噓ではない。全体効果は統計的に有意であり、同時に、当初語られた話のスケールからは大きく縮んでいる。
第三者の目をもう1つ入れておきたい。2024年、Parryが学術誌Media Psychologyに発表した別系統のメタ分析は、56の研究、7,093人分のデータを認知機能の種類ごとに分けて統合した。有意な悪影響が出たのはワーキングメモリ容量のみで、流動性知能(新しい問題に当てはめて考える力)、持続的注意、反応抑制(衝動的な反応を抑える力)はいずれも有意差なし。しかもParryは、この分野の研究の多くが統計的な検出力(本当に効果があるときにそれを検出できる確率)の不足を抱えており、現状の研究群では仮説を支持することも否定することも難しいと釘を刺している。独立した2つのメタ分析が、「記憶系にだけ小さな効果、注意はゼロと区別がつかない」という同じ絵に収束したことは、どちらか一方の結果よりも重い。
最初の実験はなぜ「効きすぎた」のか
追試やメタ分析で効果が縮むこと自体は、科学では珍しくない。むしろ典型的な経過である。最初に有意な結果を出した研究は、偶然に恵まれた側に偏りやすく、効果を過大に見積もりがちになる。さらに、有意な結果ほど論文として世に出やすく、出なかった結果は引き出しに眠るという出版バイアスが、初期の文献全体を「効果あり」の方向に傾ける。派手な結果ほど速く広まり、地味な訂正はゆっくりとしか届かない。ブレインドレイン実験は、この経過を教科書のようになぞった。
効果の向きが一枚岩でないことも、話を複雑にしている。メタ分析に含まれた2016年のHartantoとYangの研究は、スマホから引き離されること自体が不安を生み、認知課題の一種である切り替え能力を損なうと報告している。「近くにあると資源を奪う」と「遠ざけると不安で乱れる」が同じ文献群に同居しているのだから、「とにかく遠ざければよい」という単純な結論は、元のデータの側が許してくれない。
縮んだ効果と、それでも残った効果の使い方
では、この現在地から何を持ち帰ればよいか。まず、「スマホは置いてあるだけで頭を悪くするから、会議室や教室から締め出すべきだ」という強い規範は、現在のエビデンスでは支えきれない。注意への効果は2つのメタ分析でともに有意差がなく、効果があるとしても小さい。一方で、記憶にはg=-0.23の小さな効果が残っている。暗記や深い読解のように記憶へ負荷のかかる作業なら、スマホをカバンにしまうのはコストがほぼゼロの保険として理にかなう。縮んだ効果と残った効果を区別して使う。それが、この二段構えの結果の正しい読み方になる。
もう1つの持ち帰りは、スマホを「認知の敵」という一枚の看板で見ないことである。この10年の議論は、スマホの存在そのものを罪とする物語に寄りすぎていた。しかしワーキングメモリの研究が本来示しているのは、頭の中に保持できる情報が驚くほど少ないという事実のほうで、だからこそ、覚えておく仕事を頭の外の道具に移すことには意味がある。会議の内容や歩きながらの思いつきをスマホに録音してしまえば、「あとで思い出さなければ」という保持の負荷そのものを手放せる。たとえばAIボイスメモのメモリスは、スマホで録音しておくと、録音が終わってからAIが文字起こしと要約を数分で仕上げる。記憶を消耗させる装置にも、記憶を肩代わりする装置にもなるのがスマホであり、どちらになるかは持ち主の使い方が決める。スマホを記録の道具側に倒す方法はiPhone文字起こしの方法でも整理している。
念のため書き添えると、ブレインドレイン効果が縮んだことは、「スマホを気にせず使い続けてよい」ことの証明ではない。ここで扱ったのは「使っていない、ただそこにあるスマホ」の効果であり、通知への反応やながら使いが作業を中断させる害は、別の研究群が扱う別の問いである。
一本の実験を看板にしないために
冒頭の問いに戻る。「スマホは机に置いてあるだけで頭を悪くする」は本当だったのか。2017年の約800人の実験は本当にそういう結果を出し、2022年の6条件の直接追試は本当に再現に失敗し、2023年の22研究のメタ分析は本当に「記憶のみ、小さく有意」を示した。7年かけて、劇的な物語は等身大の知見に縮んだ。この経過が教えてくれるのは、スマホの善悪よりもむしろ、報道された一本の実験と、追試を経て残った知見とのあいだにある距離である。次に「科学が証明した」という見出しを見かけたら、その研究に追試はあるか、効果量はどのくらいかを一拍おいて確かめる。その一拍が、この顛末から持ち帰れるいちばん確かな道具になる。




