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2026年08月15日 07:05

マシュマロ・テストの再検証|918人の追試でわかったこと

執筆: Takumi(Memolith開発者)
メモリスメモリスによる要約
  • 有名な相関0.57は4条件のうち1条件・35人だけで出た数字で、原著者自身が信頼区間の広さを注記していた
  • 918人の追試では関連が0.24に半減し、家庭背景と4歳時点の能力をそろえると0.05まで縮んで有意でなくなった
  • 同じデータから逆の結論も出ており、待機時間は自制心より環境の信頼性や文化的習慣を映していた

目の前のマシュマロを15分我慢できた4歳児は、大人になって成功する。自制心教育の看板として、この話は世界中で語られてきた。元になった研究は実在するし、元になった数字も実在する。青年期のSAT数学スコアとの相関は0.57だった。心理学の縦断研究としては、これはかなり強い数字である。

ただし、その0.57がついた集団は35人だった。

そして原論文の著者たち自身が、同じページに「この相関の95%信頼区間は0.29から0.76に及ぶ」と書いていた。つまり真の値が0.29程度の弱い関連である可能性も、当時のデータでは否定できていない。神話を縮めたのは、追試ではなく、その前段階の要約の連鎖のほうだったのかもしれない。

以下では、1990年の原研究から、2018年の大規模追試、その追試への二つの反論、そして2024年の26歳時点の追跡まで、一つの実験が何を測っていたのかをめぐる約35年の応酬をたどる。単純な「再現失敗」の物語ではない。もっと居心地の悪い、しかし実務に転用できる顛末である。

35人から始まった数字

実験そのものは1968年から1974年にかけて、スタンフォード大学附属のビング保育園(Bing School)で行われた。Shoda, Mischel & Peake (1990) の記述によれば、この保育園に通っていたのは主にスタンフォード大学の教職員と学生の子どもたち、つまり中流階級の家庭の子である。少なくとも一度は実験に参加した子どもは653人(男児316人、女児337人)いた。

手続きは有名なものだ。子どもは実験室に通され、目の前のテーブルに報酬が置かれる。報酬はマシュマロだけではない。事前テストで好みの差がはっきり出るように選ばれたもので、マシュマロ1個と2個、細いプレッツェル1本と2本、色つきのポーカーチップ1枚と2枚といった組み合わせが使われた。実験者は「私が自分で戻ってくるまで待てば、こちら(好きなほう)をあげる。待ちたくないならベルを鳴らして。すぐ戻ってくるけれど、その場合はこちら(好きでないほう)しかあげられない」と告げて部屋を出る。部屋からは気を散らすものが取り払われていた。子どもがベルを鳴らすまでの秒数が、この研究の「待機時間」である。上限はおおむね15分、研究によっては20分だった。

10年以上たった1981年から82年、そして1984年に、研究チームは当時の子どもたちの親へ質問紙を郵送した。追跡はここで急激に細くなる。約404人に郵送物が届いたと推定され、返送率は46%。何らかの追跡指標が得られたのは185人。そのうち親がSAT(米国の大学進学適性試験)のスコアを報告したのは94人だった。

ここまでは、追跡研究にありがちな目減りである。問題は次の枝分かれのほうだ。

同じ実験なのに、条件によって符号が反転した

もともとの実験は一つの手続きではなく、待機状況の特徴を変えた複数の実験の集合だった。Shodaらは追跡できた185人を、二つの軸で4群に分けている。報酬が子どもから見える状態に置かれていたか、覆われて隠されていたか。そして、待つあいだの過ごし方(「楽しいことを考えて」といった作戦)を実験者が指示したか、指示せず子どもの自発性に任せたか。

Shodaらが理論上「最も診断的」と予測したのは、報酬が見えていて、かつ作戦の指示がなかった条件である。誘惑が目の前にあり、しかも対処法を教わっていないなら、待機時間はその子が自分で工夫を生み出す力をいちばんよく映すはずだ、という理屈だった。

結果は予測どおりだった。ただし、その「どおり」の中身がやや強すぎた。

Shoda, Mischel & Peake (1990) における就学前の待機時間とSAT数学スコアの相関。報酬が見える・戦略の指示なし条件(n=35)では0.57だが、報酬が隠される・指示なし(n=33)は-0.31、報酬が見える・指示あり(n=14)は-0.26、報酬が隠される・指示あり(n=12)は-0.23と符号が反転している。

相関係数というのは、二つの数値がどれだけ連動するかを表す指標で、1.0に近いほど強く連動し、0なら無関係、マイナスなら逆向きに動く。図の右3本はいずれもマイナスである。つまり「報酬が隠されていた条件では、長く待った子ほどSATがやや低い」という向きの数字が出ていた。統計的には有意ではないので、実質的にはノイズと読むのが正しい。だが、ノイズが出るのは35人や12人という規模なら当たり前で、そこから0.57だけを取り出して語ることの危うさが、この4本の並びに全部映っている。

原論文はこの点にきわめて自覚的だった。考察でShodaらは「最も高い相関でも分散の約25%しか説明しない」と述べ、標本の小ささゆえに係数が真の関連を誇張している可能性を明記し、SAT言語スコアとの相関の95%信頼区間が0.10から0.66に及ぶことを数字で示している。信頼区間というのは、同じ調査を何度もやり直したときに真の値が収まるだろう範囲のことで、この幅の広さは「ほぼ無関係」から「かなり強い」までが同居していることを意味する。そして「他の集団、他の世代、他の実施条件での追試が必要な次の一歩に思われる」と書いて論文を閉じている。

もう一つ、脚注に埋もれた数字がある。SAT言語スコアとの相関は、同じ最良条件のなかでも男児では0.74(N=18)、女児では0.02(N=17)と食い違っていた。18人と17人に割れば、こういうことは起きる。

慎重だったのは著者のほうで、断定したのは受け手のほうだった。

918人でやり直すと、係数は0.05まで縮んだ

「他の集団での追試が必要」という宿題に、28年後に答えたのがTyler W. Watts、Greg J. Duncan、Haonan Quanの三名である。Watts, Duncan & Quan (2018) はPsychological Science誌29巻7号1159から1177ページに掲載された。

使われたのは米国のNICHD早期保育・青少年発達研究(SECCYD)という大規模コホートで、生後から15歳まで追跡された子どもたちのデータである。標本は918人。ビング保育園の35人と比べれば、規模で約26倍、家庭背景の幅も比較にならないほど広い。彼らはこれを「概念的追試」と呼んだ。同じ手続きをそっくり繰り返すのではなく、同じ理論的な問いを別の設計で問い直す、という意味である。

分析の主対象になったのは、子どもの出生時点で母親が大学を卒業していなかった層552人だった。原研究の集団が大学関係者の子どもに偏っていた以上、対比として意味のある部分集団になる。

結果は次のように動いた。

Watts, Duncan & Quan (2018) における就学前の待機時間と15歳時点の学力の標準化係数。統制なしで0.24、家庭背景を統制すると0.08、4歳時点の能力も統制すると0.05まで縮み統計的に有意でなくなる。母親が大学を卒業していない層n=552。

「そろえる」というのは統計の用語では統制という。年収も、親の学歴も、家庭の蔵書量も似た者どうしを並べたうえで、待機時間の差だけを見にいく操作だと考えればいい。年収600万円の家庭の子と年収200万円の家庭の子をいっしょくたにして比べていたものを、同じくらいの年収の家庭のなかだけで比べ直す。それだけで0.24は0.08になった。さらに4歳時点で測った語彙力や初歩的な学力、行動面の指標も並べると0.05まで落ち、統計的に有意ではなくなった(p = .140)。

行動面の結果指標にいたっては、統制を入れる以前に、小学1年時点でも15歳時点でもほとんど関連が見られなかった。原研究では待機時間の長い子ほど「誘惑に負けにくい」「ストレスで取り乱しにくい」と親に評価されていたが、その部分は918人では再現しなかった。

Wattsらの結論は、教育政策への含意として書かれている。子どもの「待てる能力」だけを変えて、より広い認知能力や行動の幅を変えない介入は、後の結果にごく小さな効果しか持たないだろう、と。

これで話が終わっていれば、きれいな再現失敗譚になった。実際には、ここから二方向の反撃が来る。

7センチの定規で身長を測っていなかったか

Armin Falk、Fabian Kosse、Pia Pingerの三名は、Watts論文の結論は強すぎると考えた。Falk, Kosse & Pinger (2020) はPsychological Science誌31巻1号100から104ページに載った短いコメンタリーで、彼らはWattsらの貢献を認めたうえで、二つの技術的な指摘を置いている。

第一の指摘は、測り方が違うので直接比べられない、というものだ。原研究の待機時間の上限はおおむね15分だったのに対し、SECCYDで実施された版の上限は7分だった。上限が短いと何が起きるか。7分しか目盛りのない定規で身長を測るようなもので、7分待てる子はみな「7分」に張り付いてしまい、そのなかの差が見えなくなる。実際、SECCYDの子どもの約55%が7分の上限に到達しており、母親が大卒の層では68%、非大卒の層でも45%が上限に達していた。Falkらはこれを打ち切り(censoring)と呼び、打ち切りが強いほど相関はゼロの方向に偏る、と指摘した。つまりWattsらが報告した単純な相関は、それ自体が過小評価されている可能性がある。

第二の指摘は、統制変数の選び方に関わる。統制は万能ではない。統制に入れた変数が、待機時間より後に決まったものだったり、待機時間と同じ原因から生じたものだったりすると、統制後の係数が何を意味するのか解釈できなくなる。4歳時点の語彙力や学力は、待機時間と並行して同じ家庭環境から育っている。それを「そろえて」しまえば、待機時間が持っていた説明力の一部も一緒に取り除かれる。Falkらは、時間的に先に決まっている変数だけを条件として再分析すると、推定値はMischelらやShodaらが報告した値に近づいた、と報告している。

彼らの立場は「Wattsらの追試は原研究を否定していない」に近い。反対の陣営から見れば、これは統制を弱めれば大きい数字が戻るという当たり前の話に見えるだろう。実際、そう反論された。

同じデータから、逆の結論が出た

もう一つの反撃は、もっと不穏だった。

Laura E. MichaelsonとYuko Munakataは、Watts論文とまったく同じSECCYDのデータを使い、独立に、事前登録つきで再分析した。事前登録というのは、データを見る前に「どの指標を、どう分析して、何をもって成功と判断するか」を第三者が読める形で公開しておく手続きで、結果を見てから都合のよい分析を選ぶことを防ぐために使われる。

Michaelson & Munakata (2020)、Psychological Science誌31巻2号193から201ページ。彼女たちがマシュマロ研究の原典と同じ分析手法を当てはめたところ、検討した5つの結果指標のうち3つで有意な関連が見られた。とくに問題行動との関係は、単変量でも多変量でも多層モデルでも成立した。Wattsらが「関連なし」と報告したのと同じ指標、同じデータセットで、である。

同じ数字の山から、二つの研究チームが反対の結論を持ち帰った。分析の設計が違ったからだ。これはデータ分析という営みの本質的な弱点であって、どちらかが不正をしたという話ではない。

ただし、Michaelsonらの解釈のほうが、この記事の主題にとってはよほど重要である。彼女たちは、待機時間と問題行動の関係は自制心よりも社会的サポートによってよく説明された、と報告している。そして、マシュマロ・テストが予測力を持つのは、それが子どもの初期環境の側面を映しているからではないか、と結論づけた。原典の解釈を否定するというより、原典の数字を残したまま、その数字の意味を入れ替えたことになる。

WattsとDuncanはこの二つの批判にまとめて応答している(Watts & Duncan, 2020、Psychological Science誌31巻1号)。過剰に統制しているという批判に答え、多重共線性の懸念に答え、回帰分析の解釈のしかたを論じたうえで、彼ら自身こう書いている。青年期の学力との相関はShodaらより小さかったが、依然として正で統計的に有意であり、少なくとも部分的な再現にあたる、と。行動面の結果指標については、原典と異なりゼロだった、とも。

要するに、論争の当事者は誰も「関連はゼロだ」とは言っていない。争っているのは、その関連が何の関連なのか、である。

26歳まで追いかけると、何が残ったか

15歳での関連が家庭背景で説明できるなら、大人になった時点ではどうなるのか。この問いに答えたのが、Sperber、Vandell、Duncan、Wattsによる2024年のChild Development誌論文である。

同じSECCYDのコホートのうち702人(83%が白人、46%が男性)を、26歳時点(2017年から2018年)まで追跡した。54か月時点でマシュマロ・テストを受けた子どもたちが、教育年数、年収、負債、抑うつ、BMI、物質使用、警察との接触、衝動的な行動、リスクテイキングという9つの指標でどうなっていたかを見にいった。

統制を入れない単純な相関の段階で、有意だったのは2つだけだった。教育年数との相関が0.17、BMIとの相関がマイナス0.17。残りはすべて有意ではなかった。そして人口統計的な要因と環境要因を投入すると、この2つもほぼすべて有意でなくなった。論文は、回帰調整後の係数はほぼすべて非有意だった、と述べている。

例外はある。待機時間を秒数ではなく「7分を完走したかどうか」という合否の形に置き換えると、完走した子は成人期のBMIが低い、という関連が統制後も残った(β = −.17、p = .03)。ただし著者たち自身が、この分析は事前登録されていない探索的なものだと明記している。前節で見たとおり、探索的な分析はいくらでも作れる。それを結論に格上げしないための断り書きである。

結論はタイトルに書かれている。マシュマロ・テストは成人期の機能を確実には予測しない。

待てなかった子は、本当に意志が弱かったのか

ここまでは「予測するか」の話だった。もっと手前に、そもそもあの4分や12分が何を測っているのか、という問いがある。

Celeste Kidd、Holly Palmeri、Richard N. Aslinは2013年、Cognition誌126巻109から114ページで、待機時間の前に環境の信頼性を操作するという実験を報告した。平均年齢4歳6か月の子ども28人を二群に分け、片方には「あとで良い画材を持ってくるね」と約束した実験者が実際に持ってくる経験をさせ、もう片方には、詫びながら手ぶらで戻ってくる経験をさせた。そのうえで、通常のマシュマロ課題を実施する。

信頼できる環境を経験した子どものほうが、有意に長く待った(p < 0.0005)。15分を完走した子どもは、信頼条件では14人中9人、非信頼条件では14人中1人だった。

この結果は、待機時間の意味を一段ずらす。約束が守られない環境で育った子が目の前の1個を取るのは、意志の弱さではなく、その環境における合理的な判断でありうる。Kiddらは論文で、待機時間は自制心の差だけでなく、世界が安定しているかどうかについての信念も反映している、と述べている。

文化の側からも同じ方向の証拠が出ている。B. Lammらは2017年から2018年にかけてChild Development誌に、カメルーン北西部の農村に暮らすンソ(Nso)の4歳児76人と、ドイツの中流家庭の4歳児125人を比較した研究を発表した。10分待てたのはンソの子で53人、およそ70%。ドイツの子では125人中35人、28%だった。待っているあいだの様子も違い、ドイツの子は不満を訴えたり泣いたり体をよじったりと感情表出が多く、ンソの子の多くは静かに座って待った。研究者たちは、子育ての文化的な様式が自制の発達のしかたを大きく変えうると解釈している。

日本の読者にとっていちばん示唆的なのは、Yanaokaらの2022年の研究だろう。Kaichi Yanaoka、Laura E. Michaelson、Ryan Mori Guild、Grace Dostart、Jade Yonehiro、Satoru Saito、Yuko MunakataによるPsychological Science誌の論文で、日本の子ども80人と米国の子ども58人に、報酬の種類を変えて待機課題を実施した。

事前登録された予測どおり、日本の子どもは食べ物のほうを長く待ち、米国の子どもは包装された贈り物のほうを長く待った。研究者たちはこれを、待つ習慣の文化差として説明している。日本には全員に配膳されるまで手をつけず「いただきます」と言ってから食べる作法があり、米国には贈り物を当日まで開けずにおく習慣がある。子どもは、自分が待ち慣れているものについて長く待つ。

自制心という単一の内的な強度が待機時間を決めているのなら、報酬の種類を変えても順位は変わらないはずである。変わった。

相関から因果へ渡るとき、足元で何が起きているか

一つの実験がどう神話になったかを追うと、犯人らしい犯人は見つからない。原論文は信頼区間を書き、標本の小ささを警告し、追試を求めていた。追試は行われ、関連は残ったが縮んだ。批判は妥当で、批判への応答も妥当だった。

縮んだのは、そのあいだの伝達の各段階である。「4条件のうち1つで、35人で、0.57だった」が、「0.57だった」になり、「強く予測する」になり、「4歳で人生が決まる」になった。各段階の書き手は、直前の要約を正確に引き写しているつもりだったはずだ。

同じ縮約は、社内のデータ判断でも起きる。転用できる問いは4つある。

その数字は誰から取られたか。 ビング保育園はスタンフォード大学の教職員と学生の子どもが通う園だった。今のビジネスに置き換えれば、特定の1社の社員だけを対象にした調査に近い。そこで見つかった関連が全国に一般化するかは、別途の問いである。

測定に上限や打ち切りはないか。 7分の定規で測れば、7分以上待てる子はみな同じ値になる。満足度アンケートの5段階評価で「5」が6割を占めたら、その6割のなかの差はもう見えていない。天井に張り付いた指標は、相関を弱く見せる。

統制を足したり引いたりで結論が動かないか。 動くのが普通である。動くこと自体は不正ではなく、どの変数をなぜ入れたかを先に説明できるかどうかが分かれ目になる。Falkらの批判の核心も、Watts & Duncanの応答の核心も、そこだった。

同じデータから逆の結論が出ないか。 MichaelsonとMunakataは、Wattsらと同じデータセットから反対の結果を持ち帰った。分析設計を先に公開しておく事前登録が広まったのは、この可能性を潰すためである。社内の分析でも、集計を回す前に「何をもって成功と見なすか」を書き残しておくだけで、後出しの解釈をかなり防げる。

そして最後に、いちばん転用しやすい教訓。相関を見つけたときに真っ先に検討すべきなのは、両方を同時に生んでいる第三の要因である。 マシュマロ・テストの場合、それは家庭の社会経済的な背景であり、環境が約束を守ってくれるかどうかの履歴であり、その子が属する文化で何を待ち慣れているかだった。待つ力そのものは、そこに映っていた影の一部でしかなかった可能性が高い。

記録が縮む前に、原文へ戻れるようにしておく

会議でも同じことが起きる。「A案で進める」という結論だけが議事録に残り、それが前提としていた条件、反対意見、保留された論点は落ちる。数か月後、前提のほうだけが静かに変わっているのに、結論は生き残っている。0.57だけが残って35人が落ちたのと、構造は同じである。

防ぎ方は素朴で、要約とは別に、縮める前のものを残しておくことに尽きる。メモリスはAIボイスメモとして、録音した音声を録音後にAIが処理し、数分後に要約と文字起こしの両方を返す。要約が短く言い切っている箇所について、その場の発言がどうだったかへ戻れる状態を作っておく、という使い方になる。音声データはAI処理が完了した時点で自動的に削除される。

35年かけて解体されたのは「マシュマロを我慢した子は成功する」という命題そのものではない。命題を支えていたはずの根拠が、途中でどれだけ痩せていたか、である。手元の会議記録が、数か月後に同じ検算に耐えるかどうかは、まだ誰も確かめていない。

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