「中断から 復帰まで 23分15秒」という 数字には 論文が 無い。 一つの 数字の 出典を掘る
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- 2026年08月13日:文章の読みやすさ・文体を見直しました(内容・事実・構成は変更なし)

- 「復帰まで23分15秒」の初出は論文ではなく2006年のインタビュー。本人は「そんなに長くない」と語っていた
- 最も引用される2008年論文の実際の結果は「中断された人のほうが速く終えた。ただしストレスと引き換え」
- 論文に実在する数字は25分26秒・標準偏差54分48秒。その間に平均2.26個の別の仕事を挟む「経過時間」だった
会議から自席に戻ると、チャットの通知が3件たまっている。ひとつ返信して、ついでにもうひとつ開いて、気づけば書きかけの資料のことを忘れている。この感覚に数字の裏付けを与えてくれる、有名な統計がある。「一度中断された作業に戻るには、平均23分15秒かかる」。日本語圏ではライフハッカー・ジャパンが2014年に「一度中断した作業に戻るには平均で23分15秒かかる」という見出しで紹介し、以来、集中力を扱う書籍や生産性ブログが繰り返し引用してきた。「ちょっといいですか」の本当のコストは一瞬ではなく23分である、という説教とセットで。
よくできた数字だと思う。23分、ではない。23分15秒。この15秒の端数が、実測の匂いを放っている。誰かがストップウォッチで測ったに違いない、という匂いである。
ところが、この数字の出典として貼られる学術論文を開いて「23」で検索すると、一致は0件である。分どころか、23という数字列そのものが本文のどこにも現れない。では、23分15秒はどこから来たのか。この記事は、この一つの数字の身元調査である。前半で数字が生まれて広まった系譜をたどり、後半で、出典とされる論文2本に実際は何が書いてあるのかを読む。
出典として貼られる論文に、その数字は無い
最もよく出典に挙げられるのは、Gloria Mark、Daniela Gudith、Ulrich Klockeが2008年にCHI(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション分野の最高峰会議)で発表した論文「The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress(中断された仕事のコスト:より速く、よりストレスフルに)」である。わずか4ページの実験報告で、PDFは著者のサイトで無料公開されている。全文を検索しても、「23」は一度も出てこない。
この違和感を組織的に掘った先人がいる。2023年11月、oberienと名乗るドイツのエンジニアが、同僚に「例の23分の出典」を送ろうとして出典が見つからないことに気づき、調査記事を公開した。出典として引かれる論文を5本確認し、どれにも23分15秒が無いことを確かめたうえで、この数字を引用するブログ記事を(本人いわく数字に合わせて)23本読んでいる。内訳が興味深い。9本は論文を出典として挙げていたが誤りで、うち1本は論文のどこにも存在しない一文を「引用」していた。2008年論文の実際の結果を正しく紹介していたのは2本だけ。残りをたどると、すべて論文ではない場所に行き着いた。9本はMark本人へのインタビュー記事、2本は、本人の発言としてこの数字を直接引く2012年のウォール・ストリート・ジャーナル記事である。
つまり糸は一本に収束する。23分15秒は、論文の数字ではなく、発言の数字なのだ。
2006年、初出の現場では「良いニュース」だった
たどれる限り最古の活字は、2006年6月8日、米調査会社ギャラップのBusiness Journalに載ったQ&A形式のインタビューである。答えているのは、当時カリフォルニア大学アーバイン校准教授のGloria Mark。職場の中断・マルチタスク研究の第一人者で、以後この分野の主要な発見の多くに彼女の名前がある。
該当箇所を訳すと、こうなっている。
統一的な比較のために、中断されて同じ日のうちに再開された仕事だけを見ました。良いニュースは、中断された仕事の大半(81.9%)が同じ日のうちに再開されていたことです。しかも平均23分15秒で再開されていた。そんなに長くない、と言っていいと思います。
読み違いではない。初出の文脈で、23分15秒は「良いニュース」の側にある。悪いニュースは別で、中断された人はすぐには元の仕事に戻らず、間におよそ2つの別の仕事を挟むこと、そして中断のたびにデスクトップのウィンドウや机の上の書類といった物理的環境が変わってしまい、「どこまでやったか」の再構築が難しくなることだと彼女は続けている。中断の認知的コストという言葉が使われるのは、時間ではなくこちらの文脈である。
15秒という端数の由来も、このインタビューでわかる。彼女のチームは知識労働者を3日間ずつ影のように追いかけ、「起きたすべての出来事を秒単位で計測した」。同じインタビューには「人が一つの作業に連続して向かう時間は平均3分5秒」「一つのデバイスに向かい続ける時間は2分11秒」という数字も出てくる。秒の精度は演出ではなく、観察の解像度がそのまま口に出る癖なのである。
ただ、引っかかる点が二つ残る。インタビューで語られる調査の規模は「36人を3日間」。ところが、この調査に対応するはずの2005年の論文に記録された被験者は24人である。そして論文のどこを探しても、81.9%も23分15秒も出てこない。数字は近いのに、どれとも重ならない。
2008年、数字の意味が反転する
2年後の2008年7月28日、ビジネス誌Fast Companyがインタビュー記事「Worker, Interrupted(労働者は、中断される)」を掲載する。聞き手はジャーナリストのKermit Pattison。「元の作業に戻るまでどれくらいかかるのか」という問いに、Markはこう答えている。
中断された仕事の約82%は同じ日のうちに再開されることがわかりました。ただ、ここからが悪いニュースです。元の作業に戻るまでには、平均23分15秒かかるのです。
数字は同じである。意味づけが逆になった。2006年に「そんなに長くない」と言われた23分15秒が、2008年には「悪いニュース」の枕を付けられている。そして流通したのは、こちらのバージョンだった。以降、英語圏の生産性ブログの定番統計になり、日本語圏には遅くとも2014年、冒頭のライフハッカー・ジャパンの記事で上陸している(もっと早い例があるかもしれない。そこまでは追い切れていない)。
系譜の終点が皮肉である。2023年、Mark本人が一般向けの著書『Attention Span』を出版した。その公式の紹介文が掲げる数字は、23分15秒ではない。「中断のあと、注意をタスクに戻すには25分かかる」。本人の現在の言い方は、次に見る公刊論文の数字の側に戻っているのである。
25分26秒の中身は、「脳の回復時間」ではなかった
では、公刊された論文には何が書いてあるのか。1本目は、MarkとVictor M. González、Justin Harrisによる「No Task Left Behind?(どの仕事も置き去りにしない?)」、2005年のCHI論文である。
手続きが、まず徹底している。舞台はITSという仮名で呼ばれる米国のITアウトソーシング企業。24人(マネジャー7人、アナリスト9人、開発者8人)を、研究者が一人につき3日半、文字どおり席の後ろから観察した。観察時間は一人平均25時間42分、正式な観察の総計は700時間超。電話、書類、同僚の割り込み、そのすべてを秒単位で手動記録する。PCのログではなく人力の観察でこれをやったところに、この研究の値打ちがある。ログには映らない「隣の席から声をかけられた」が拾えるからだ。
彼らは仕事を「ワーキングスフィア」という単位で数えた。一つの案件、一つのプロジェクトに相当するまとまりである。結果、人は平均11.7個のワーキングスフィアを行き来しながら働き、一つのスフィアに連続して向かえる時間は平均11分4秒。作業の区切りの57%は、自然な切り替えではなく中断によって終わっていた。
そして再開の数字が出る。中断された仕事のうち77.2%は同じ日のうちに再開され、再開までの平均時間は25分26秒だった。これが、公刊論文に実在する数字である。23分15秒ではない。
ただし、この25分26秒を「集中の回復に25分かかる」と読むと、論文が測ったものから二重に外れる。第一に、標準偏差が54分48秒ある。平均の2倍以上の散らばりで、数十秒で戻ったケースと午後いっぱい戻らなかった仕事とを均した数字だということである。第二に(ここが肝心なのだが)、再開までの25分間、人はぼんやり集中力を充電していたわけではない。その間に平均2.26個の別のワーキングスフィアを処理していた。つまりこの数字が測っているのは「元の仕事に戻るまでに経過した時間」であって、「元の仕事に戻るのに必要な時間」ではない。すぐ戻らなかったのは、戻れなかったからかもしれないし、他の仕事のほうが先に片づいたからかもしれない。観察研究であるこの論文には、それを切り分ける手段がない。
条件も付いている。この平均は同日中に再開された仕事だけを数えたもので、終業前の最後の1時間に起きた中断は「その日のうちに再開する機会がそもそも無い」ため除外されている。他人に割り込まれた場合のほうが早く再開され(平均22分37秒)、自分で自分を中断した場合は遅い(29分1秒)という内訳もある(有意水準ぎりぎりの差ではある)。数値の外の観察も細かい。文書の最後の一語で点滅しているカーソルは即座に作業を再開させてくれるが、その上に別のウィンドウが何枚も開くと、どの文書を書いていたかを思い出すことすら難しくなる。再開を妨げるのは時間の経過そのものではなく、手がかりの消失だという指摘である。
こうして並べると、インタビューの「81.9%・23分15秒」が論文のどの数字とも一致しないことがはっきりする。論文にあるのは77.2%と25分26秒(本人が主担当の中心的な仕事に限れば再開率82.0%)。おそらく同じデータセットの別の集計(絞り方や除外条件が違う版)なのだろうが、公刊された分析からそれを確かめる術はない。「出典が無い」とは、数字が捏造だという意味ではない。検証の手がかりが、発言の外に存在しないという意味である。
最も引用される論文は、むしろ逆の結果を報告している
2本目が、冒頭の「The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress」(2008年)である。観察研究では切り分けられなかった因果を、Markがベルリンのフンボルト大学の研究者らと実験室で確かめに行った研究と読める。
48人の被験者が、手芸用品会社の人事マネジャーという設定で、受信箱の12通のメールに「できるだけ速く、正確に、丁寧に」返信する。条件は3つ。一切中断されない条件、メールと同じ人事の文脈の質問で中断される条件、そして「社員240人のパーティーにホットドッグは何本必要か」といった無関係な質問で中断される条件。中断は電話かインスタントメッセージでおよそ2分に1回入り、中断に応対していた時間は計測から差し引かれる。
結果は、直感の逆を向いた。本題のメール処理にかけた正味の時間は、中断なしで22.77分、同文脈の中断ありで20.31分、異文脈で20.60分。中断された人のほうが、本題を速く終えたのである。返信の誤りや丁寧さに差はなく、文面がやや短くなっていた。中断の文脈が同じか違うかは、どの指標にもほとんど影響しなかった。
無償で速くなったわけではない。各条件の作業後に測った主観指標(NASA-TLXという定番の負荷尺度)では、ストレスが20点満点で6.92から9.46へ、フラストレーションが4.73から6.63へ上がり、時間圧迫感と投入した労力も軒並み有意に上昇していた。著者らの解釈はこうだ。中断が続く環境では、人は失われる時間を見込んで、速く・短く書くモードに切り替える。時間は取り返せる。その代金は、時間ではなくストレスで払われる。論文タイトルの「More Speed and Stress」は、結果の要約そのものである。
著者ら自身が留保も書いている。中断の直後だけ作業が遅くなり、その遅れを残り時間の加速で埋めている可能性は、この設計では否定できない、と。その「直後」を実測しに行った研究ならある。イリノイ大学のShamsi IqbalとMicrosoft ResearchのEric Horvitzが2007年に発表した現場研究で、27人のPC操作ログ2,267時間分を解析し、メール通知に即座に反応して中断した場合、元のアプリケーションを中断前の状態に戻すまで平均16分33秒かかっていたと報告している。ただしここでも標準偏差は27分20秒。どの実測を取っても平均の後ろには巨大な散らばりが立っていて、「中断1回=23分15秒の損失」のような換算表は、どの論文からも作れないのである。
数字は、なぜこの形で生き残ったのか
繰り返し見た文に人は真実味を感じ、その効果は2回目の遭遇が最大であることは、実験で繰り返し確かめられている。23分15秒は、20年近く繰り返されてきた。しかも15秒の端数が「実測済み」の署名として機能する。ややこしいのは、その精度自体は本物だということだ。秒単位の観察という誠実な手続きから出てきた数字が、流通の過程で意味だけを掛け替えられた。「戻るまでに経過した時間の観察値」から「集中の回復に必要な時間」へ。「良いニュース」から「恐怖のコスト」へ。精密な数字ほど、意味の掛け替えには気づきにくい。精度そのものが、検証済みの証拠に見えてしまうからである。
一方で、原論文が実際に報告している内容は、通俗版より地味で、たぶん通俗版より役に立つ。中断のコストは、失われた分数としては現れないことがある。速度で取り返せてしまうぶん、ストレス・フラストレーション・労力という見えにくい形で請求される。だとすれば「ちょっといいですか」への対策も、分数の節約より、請求書そのものを減らす方向で考えることになる。割り込みの少なくない部分は、情報が特定の人の頭の中にしか無いために発生する。あの会議で何が決まったのか、なぜそうなったのか。それが本人に聞かなくても引ける記録になっていれば、割り込みの一部は検索に置き換わる。会議を録音してメモリスのようなアプリに渡すと、会議が終わったあとにAIが処理して数分で議事録ができるが、その価値をこの記事の文脈で言い直すなら、節約されるのは尋ねる側の23分ではなく、答える側が速度で取り返したあとに残るストレスのほうだと思う。
最後に、確認できたことと、できなかったことを分けておきたい。23分15秒という数字が2006年のインタビューに実在すること、出典として引かれる論文には存在しないこと、最も引用される論文の実際の結果が「速くなる、ただしストレスと引き換え」であることは、この記事のリンク先の原文とPDFで誰でも確認できる。確認できなかったのは、23分15秒がどの集計から出てきたのかである。oberienは論文5本とブログ23本を掘って底に届かず、この記事もそこから先へは進めなかった。もし一次的な出どころを知っている人がいれば、それはこの系譜の最後の空白を埋める発見になる。それまでこの数字は、繰り返しが真実味を作ることの、動く実例であり続ける。
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